ひろっきーの思考 Hirokky’s thoughts are here.

英語、ビジネス、アイデア、自然、インテリア、アート、日本文化など今まで知り得た無駄な知見から思うこといろいろ。実験的に。思うがままに。I’ll experimentally write a blog about English language learning, Business, Idea, Nature, Interior deco, Art, Japanese culture.

ひろっきーの思考 Hirokky’s thoughts are here.

普段の思考の置き所をどうするか? "How should we build up our mode of thinking to live in peace?"

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HI, it's Hirokky.

How's your day?

 

自分は普段どんなことを考えて生きているんだろう?

普段の思考の置き所はどこなんだろう?

 

と客観的に自分を観る機会が、最近やたら多くなってきました。

 

一つは、朝の習慣にし始めた「沈魂」(日本版の瞑想のようなもの)の時。

次に、自分の感情が動いた時に自分を俯瞰する時。

そして、衝動的に怒りを感じた際の自分の感情認識の時。

 

結果として、その時々の自分の感情を瞬間的に観て、「今の自分の思考はこうなっているんだな。」と認識するので、割とすぐに冷静になれるのですが、ちょっと待てよ、この手法は何か書いておいた方がいいんじゃないか?と衝動的に思って、今日はそんな話です。

 

 

 

 

今まで自分が経験して味わってきた様々な知験や環境などから、「このように思考した方がいいだろう」と自分でスイッチを押して、そうなっている。それが結論なのですが、では、なぜそのような決定をするかというと、“心穏やかにいつもありたい”からです。

 

可能な限り公を意識した方がいいとは思いつつ、穏やかにとは思いつつ、とは言ってもそこは人間なので、時折、怒りに身を任せてみることや、ブラックなことも大切と思っています。

 

いずれの感情も全て大切だと思っているので、いい悪いはなく、どっちも正解という感覚。

 

ただし、きちんと怒った時には、とっても優しくなります。反動というか、なんというか、その方が愉しいから。

 

そしてブラックになった時には、ライトになります。

 

 

 

 

「我慢せずに今日も生きるのだ。」

という話でした。

 

Well, till next time. Let there be prosperity.