2011年5月16日に、竹田和平さんの懇談会があるというので名古屋に行ったことがありました。竹田和平さんのことを知ったのは2008年ぐらいだったと思います。当時経営の勉強していた時に、和平さんが主催している貯徳問答講というオンラインコミュニティーに参加したのがきっかけでした。
貯徳問答講というのは、徳を積むことが人のため世の中のためになるということを、和平さんとの問答を通して学ぶというものでした。
和平さんは実業家であり、日本一の個人投資家という一面もあったので、現実的に成功されている方が話す精神的な内容、心のあり方に惹かれたのです。
そうこうしている間に直接対面の機会が訪れたのが2011年の5月でした。
東日本大震災から2ヶ月後ということで、世間にはまだ不安な空気が流れていました。
当時、僕も今後の未来をどういう方向に進むべきか迷っていた時でした。
そこで和平さんが談話中に、「これからは人が安心して暮らせる町が必要だ。」とふと言ったのです。
その言葉に僕はなんだかピンときて、なんの根拠もなく、世界で一番住みたい町を作りたいと思うようになりました。
それから少しずつですが、街づくりに関する情報を集め始めました。
世界で一番住みやすいと言われるオーストラリアやカナダの都市を調べたり、都内でいつも住みたいエリア1位となっていた地域を歩いてみたり、全国の市町村での街づくりの取り組み状況を調べたり、アメリカのポートランドで街づくりに参加している日本人の講演を聞きに行ったり、二子玉川のICTの街づくりの情報を調べたり、議員会館で街づくりのセミナーにも参加したりなど活動し始めました。
前置きが長くなりましたが、その過程で、日本の町づくりの中心にいた人物達、いわゆる旦那衆の存在を知ったのです。
旦那とは、サンスクリット語でダーナという言葉が語源だそうです。「施しをする人」という意味で、街を明るく照らす人と和平さんは言っていました。
思えば和平さん自身が、花咲爺という現代の旦那のような存在でした。
江戸時代に栄えた町人の歴史の中で、旦那はなくてはならない存在だったということを知りました。
商人が生まれて商人道が石田梅岩によって確立し、封建社会の武士道にも負けない志として徳の大事さを説いた商人達、旦那衆は、時には私財を投げ打ってでも公に奉仕するという生き方をしていました。
現代は、寄付一つとっても投資の一環として実施されますが、それとは異なる心理が旦那衆にはあったと思います。
世界一住みたい街を作る。そしてその中心として旦那衆がいる。そういう文化に今一度光りをあてて、自分自身もそうなりたいし、そういう仲間を作りたいと思うようになりました。
少しずつではありますが、旦那道研究はライフワークの一部になりつつあります。引き続き研究をしていくのが楽しみの一つです。
これから、どうやって人間は生きていくのか?
いよいよ各自、生き方が問われてきます。
かっこいい大人、旦那衆が周りにたくさんいる社会は、次世代の教育にもいい影響を及ぼすのではと思います。
日本が誇る旦那文化に光を当てて学びつつ、教えることもしていきたい。
旦那についてはまたの機会に、もう少しまとめて書きたいと思います。