Hi. It's Hirroky. How's your day?
文字情報はなんと便利で暴力的、そして優しいのだろう。
よく聞くメラビアンの法則では、そもそも人間の意思伝達の中で言葉が担う割合はたった7%。この法則の捉え方は人それぞれなので言及しないけど、文字だけのコミュニケーションは決して100%じゃないという事。
日頃よく会って、話して、仲の良い間柄だったとしても、文字で伝わる内容は完璧じゃなかったりする。
人の気分はコロコロ変わるし、思考も変わる。バイオリズムも変わる。好き嫌いも変わるし、周辺環境も変わる。時間によって気分も変われば、天気によっても変わるのだ。
そういう世界の状況の中で、諸行無常の中で、刹那的に発生する気分の下生み出される文字情報ほど、不確かなものはない。
夜に何気なく送ったメッセージ。相手は朝に見るかもしれない。その時の気分で意図しない解釈で捉えられてしまう場合もある。
最近はネット経由のSNSですぐに文字は送れる。とっても便利だ。でも多いに誤解を招いたり、時には相手を傷つけるぐらい暴力的だったり、正確にこちらの意図をつたえるのは難しい。
でも、恐れる必要はない。
たとえ誤解があったとしても、直接会って話せば分かる。と僕は楽観的に思っている。
それぐらいで壊れてしまう関係性であれば、それはそもそもそういう事だったのだと思う。
「なんでこんなことを言うのだろう?」と送られてきたメッセージを見てヤキモキしていても、実際に会って確認したら、相手が「え?そんなつもりじゃ全然ないよ」なんてよくあるのだ。
だから文字情報に憂う必要はない。全体のたった7%なのだから。
おそらく、ほとんどの世の中の文字情報は愛に満ち溢れいてる(はずだ)。
相手を労り、思いやり、敬う気持ちベースで発せられた言葉がたくさんある。
それはそのまま受け止めて幸せ気分を味わったらいいと思う。ここでは7%なんて考えずに、120%と受け取ったらいい笑。
“自分にとって気分のよくない文字メッセージは、たったの7%だからヤキモキする必要なしー!”
そんな勝手なルールを作ってしまえばいいのだ。
人生の時間は有限なのだ。
そんなことで楽しい時間を失うことはない。なるべく楽しく、軽やかに過ごしたいものだ。
このコロナ禍で人が直接会うことが難しくなってきて、ますます文字情報が溢れているのでちょっと心配です。
でも、物事の見方を変えるのは一瞬でできる。思考も一瞬で変えられる。
そもそも、誰もがそうできるようになっている。
気分がそうならなくても、追いついて来なくてもいい。
先に見方を変えちゃう。変化させる。動くという事が大切。たとえ気分がそうでなくても。
そうしたら、気持ちは後からついてきます。
なーんだ。ってなります。
それも人生の一部だから愛おしいもの。
自分にとって必要だったことだから。
それでは、またです。
Well then, till next time.
Let there be prosperity.